(寫眞をクリックすると拡大します。)

船が港に着いた。
接岸した船首に急ぐ乗客もいるが、急いでも、どうせ出口が混みあうのは分かっている。
暫くデッキの椅子に腰を落ち着けて、降りる頃合いを待つことにした。

いや、違う。
陸に上がれば、イスタンブル最後の夜が待っている。
旅の終わりが始まるのを少しでも遅らせようと、他の乗客が下船し終わるまで船の上で粘ることにした、というのが本当のところだった。

港に出入りする船を眺めながら、真夏の夕刻、一向に下がらぬ気温を潮風でしのぐ。
近くからは舷側を打つ波の音、遠くからは陸上を行き交う車の音が、耳を通り過ぎていく。
いつもと変わらぬ時の中に埋もれているうちに、時間感覚が希薄化する。

気が付けば、周りには数名の乗客が残るだけになっていた。
彼らはまだ船を降りないのだろうか。
ボンヤリ過ごした時間がどのくらい経ったのか分からないが、さすがにもう、出口もすいていることだろう。

そろそろ下船しようかと腰を上げた時、腹に響くエンジン音が船底から聞こえ始めた。
海面には、スクリューが巻き起こす水流のうねりが、デッキからもはっきりと見てとれる。
この船は、出航しようとしている。

ここは、この船の終着港だったはずだが・・・。
しかし、船は、疑いなく次の港に向かおうとしている。

慌てて出口に向かうが、汽笛が鳴り、船は港を離れていく。
船を降り損ねた間抜けな乗客になったことは明らかだった。
やむなくデッキに戻り、さっきまで座っていた椅子に、再び腰を下ろす。

デッキに残っている客は、降りる順番を待ってゆっくりしていたわけではなかった。
次の港に向かう客たちが、平然と腰を掛けていただけだった。
何だか、まんまと罠に嵌められた様な気がした。

もちろん彼らが、罠を仕掛けたわけではない。
帰国間近な乗客の下船を阻止し、どこかに連れ去ろうと罠をかけたのは、この船だ。
そして、海上に縦横無尽の軌跡を描く船はみな、この街の神経であり動脈であって、この街の一部なのだ。

ここに至ってようやく、この街が、我が身を絡め取ろうと意図していることに気付く。

この街を旅行先に選んだのは、この街に対する特別な思いがあったからだ。
しかし、それは自分の一方的な片思いであって、まさか自分が、この街に愛されるとは思ってもみなかった。
無数の来訪者で賑わうこの街が、一介の旅行者に過ぎない自分を引き止めようとするなどとは、決して・・・。

日が傾き、波が光る。
もうじき夜が訪れるというのに、このままどこに連れて行かれるのか見当もつかないが、それでもちっとも構わない。
ボスポラスを抜け、マルマラ海を南下し、ダーダネルスを通って、星空の下、エーゲ海から地中海に出たら、東に向きを変え、キプロスの北を回って、シリアとの国境まで。
どこまでも付き合えと言ってくれるのなら、どこまでも付き合おうと思い定めた。
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ガラタ橋


   (寫眞をクリックすると拡大します。)

向こう岸から歩いてきたオレと、向こう岸まで歩いていくお前。
日が沈んでも橋の上で魚釣りを続ける人たちや、停留所から路線バスに乗り込む仕事帰りの人たちの間を、通り抜けてきたオレと、彼らの中に溶け込んでいくお前。
宿に帰るオレと、家に帰るお前。
終わりある旅の途中のオレと、終わりない日常の中のお前。
この街を出て行かねばならないオレと、この街に居続けねばならないお前。

オレはオレのままでありたいのか。
それとも、オレはお前になりたいのか。

ギュルハネ


   (寫眞をクリックすると拡大します。)

中野区丸山あたりのバス通りは、今はまっすぐな広い道路だが、泉麻人が子供だった頃の記憶によれば、細くて折れ曲がっていたらしい。
彼は、昔の地図を入手して自分の記憶が正しかったことを確認した瞬間、「形容のしようのないほどぞくっと」する。
そして、「タイムマシンが開発されたなら、僕はまずそういうポイントを確認しに行くことだろう」と、著書の中で語っている。

記憶の彼方の風景をもう一度見たいと思う時の、どうしようもない焦りに似た感覚は、何となく分かる。

豊島・練馬・中野・新宿の4区が接する辺りで、千川通りと目白通りの間を結んでいる道路も、今は長さ100mほどの広くまっすぐな道路だが、かつては細くて暗くて曲がった道だった。
ろくに舗装もされておらず、デコボコな道にはしょっちゅう水溜りができていたような印象がある。
しかも、その道は単に曲がっているだけでなく、途中で二又に分岐しており、その先は一層細くなっていたように記憶している。
分岐点のそばには古くからの農家と思しき広い家があり、壁には幾つもの木製の農機具がぶら下がっていた。
その家の敷地内には防風林の名残りかとも思われる高い樹木が生えていて、枝や葉が狭い道の上空を覆う様は、そこだけ都会の中に残った武蔵野という趣きだった。
こうした記憶は、どれも定かではない。
定かでないからこそ、記憶がどこまで正しいのか、確認したいという思いはずっと持ち続けているし、もしもあの場所で写した当時の写真を見せて貰えるなら、相応の犠牲を払う覚悟がある。
いや、大きな犠牲を払ってもいいから、「ぞくっと」してみたい。

曲がった道には、不可解な力が潜んでいる。
かつて住んでいた場所のことを思う時、曲がった道の風景を決まって思い出す。

曲がった道の先に何があるか、行ってみないと分からない。
道を抜けると意外な場所に出ることを発見した時、街なかの空間把握が一歩進んだように感じる。
注意しないと、道なりに歩いているうちに少しずつ方向感覚が狂っていく。
そこが日常的な通り道になると、自分にとって特別な道になったような親近感を覚える。

かつて様々な感覚を呼び覚まされた場所に戻り、どうしていつまでもその風景が頭にこびりついているのか、原因を探ってみれば、今の自分を形成した根源的なものに出会えるかもしれない。

歴史ある街の風景が易々と変わってしまうようなことはなかろうとは思うが、それでもかつてのイスタンブルでは当たり前に見られたというオスマン風の木造建築が、物凄いスピードで朽ちて行く様子を目撃した。
帰国後早くも薄れ始めたイスタンブルの記憶が、やがて体内から殆ど全て蒸発してしまうであろうことも、容易に予想できる。
記憶の中のイスタンブルも、現実のイスタンブルも、変容は不可避だ。

いつかイスタンブルに戻ることがあったら、その時最初に足を運ぶのは、数ある観光名所のうちのどれかなどではなく、観光の中心地スルタンアフメット地区とオリエント急行の終着駅シルケジを結ぶ、このギュルハネの坂道だろうと思う。
宿の近くにあって、徒歩で、トラムで、何度も通ったこの坂の曲がり具合が、記憶の通りであり、寫眞の通りであることを現場で確認できた時、初めて記憶の彼方のイスタンブルに戻ってきたと実感できるに違いない。

ベシクタシュJK



丘の上のタクシム広場からボスポラス海峡のカバタシュ港まで一気にくだる道路が最後の直線コースに入るところに、老朽化が進んだベシクタシュJKのホーム「イノニュ・スタジアム」が建っている。
伝統あるベシクタシュというチームの、昔ながらのホームスタジアムを、改築するのかどうか。
論争は政治家までをも巻き込んで派手に展開されたそうだが、結局、現スタジアムの解体と新スタジアムの建設計画が決まった。





急な坂道の途中に、スタジアムの外からピッチが半分ほど見える場所があった。
スタジアムに入り切れないサポーターや入場料を払えない子どもたちがこの場所に集まり、半分しか見えない試合にやきもきしながらも、試合展開に素早く反応して一喜一憂する姿が目に浮かぶ。
新スタジアムが建つと、おそらくピッチは完全に目隠しされてしまうだろうから、試合をタダ見したいなら今のうちだ。

今年のトルコサッカーリーグは、八百長騒動の影響で開幕が延期された。
そのため、イスタンブル滞在中にサッカー観戦の機会が無いことは、日本を発つ前から重々承知だった。
それでもここからピッチを見ていると、ギリシャと並んで熱狂的と言われるトルコのサポーターたちとともに、スタジアムの外からでもいいから夢の時間を過ごしてみたかったと思わずにはいられない。





数日後の夕刻、ボスポラス海峡の東岸に向かう船のデッキに座り、遠ざかる西岸の町並みを眺めていると、イノニュ・スタジアムの照明塔の灯りが目に飛び込んできた。
なぜ照明がついているのか。
スタジアムで何か行われているのだろうか。
まさかとは思うが、試合があるのか。

その時突然、前夜のサッカー・パブで見たアーセナル対ウディネーゼ戦の記憶がよみがえってきた。
それは、欧州チャンピオンズリーグのプレーオフのTV中継だった。
そうか、欧州リーグか・・・。

トルコの国内リーグは未だお休み中だが、今年の欧州リーグは既に始まっているということに、なぜこの時まで思いが至らなかったのか。
今日は、もしかしたら、ベシクタシュのホームで欧州リーグの試合が行われる日ではないのか。

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船が海峡の東岸の町ユスキュダルに着くと、すぐにカバタシュ行きの船に乗り換えて、とんぼ返りで西岸に向かう。
海峡を横切りながら前方を見据えれば、イノニュ・スタジアムの灯りがどんどん近付いてくる。
すっかり諦めていたナマ観戦が実現するかもしれないと思うと、否応無しに胸の鼓動が高まる。

試合当日でもチケットは買えるだろうか。
買えなかったら、あの坂道のあの場所から、ピッチ半分だけでいいから、試合を見に行こう。
僅か十数分の航海の間にも、あれこれ思いが交錯していく。





スタジアムに着いたが、サポーターらしき人の姿が見当たらない。
気が付けば、照明塔の灯りも消えている。
それでもスタジアムの場外を半周し、巡回中の警備員をつかまえて聞いてみる。
「今日は試合なのか」
「明日だ。明日来い」

明日来いと言われても、明日はイスタンブルを発つ日。
チューリップの歌ではないが、明日の今頃は、ぼくは飛行機の中なのだ。
一日違いで、やっぱりナマの試合を見ることはかなわなかった。

ベシクタシュの機材運搬用トレーラーが、スタジアムの前に停まっている。
明日の試合に備えて、場内整備が行われているようだ。
船上から見た照明塔の灯りは、電球の球切れチェックのために点灯されていたのだろうと見当をつける。

久し振りの公式戦の準備に万全を期すベシクタシュのスタッフの意気込みは、何らかの形で選手に伝わらないはずが無い。
明日の試合を控えて、ベシクタシュの選手たちの体調と気力は、ともに最高潮に達していることだろう。
試合本番に立ち会うことができない無念さが、ますます募ってきた。

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翌日夕刻、アタテュルク国際空港を飛び立った飛行機は、ゆっくりとイスタンブル市街の上を進んで行った。
ほどなく海峡の上に差し掛かり、眼下にイノニュ・スタジアムが見えてきた。
そろそろベシクタシュサポーターたちが、カバタシュの町に集まり始める頃だ。
船着き場もあり、トラムの終着駅もあるカバタシュの町に、黒白ストライプのユニフォームをまとったサポーターたちが次々と降り立っているに違いない。
彼らサッカー馬鹿は、国内リーグの開幕がお預けになっている分、溜め込んだエネルギーを今日の試合で爆発させる気合十分というところだろう。
数時間後、あのピッチにベシクタシュの選手たちが登場すれば、その時こそサッカー馬鹿が、全力で馬鹿の本領を発揮する。

ベシクタシュに、勝利を。
ベシクタシュサポーターに、歓喜を。

実地で参戦できない自分は、上空から祈るしかない。
祈りながら、自分にとってベシクタシュというチームが特別な存在になり始めたことを自覚する。
帰国後、欧州リーグの試合結果を確認し、ベシクタシュが3-0というスコアで快勝をおさめたことを知ると、思わずガッツポーズが出た。
かくして、また一人、新たなベシクタシュサポーターが極東の島国に誕生したのである。

人形は顔が命



ベヤズット地区の服屋の店先に並ぶ、子供服のマネキン。
マネキンは実物の人間よりもルックスが良くて当然と思っていたので、常識を覆された気がした。





ベヤズット地区の露店。
空中を浮遊するクラゲの群れ。

本物の顔を仮面の顔で隠し、仮面の顔を布で隠す、二重の隠蔽工作。
人形は顔が命らしいが、仮面は顔の隠し方が命ということか。

メヴレヴィー教団の旋舞



メヴレヴィー教団は、イスラム神秘主義教団の一派である。
オスマン帝国時代、正統派イスラム神学を修めたウラマーたちが司法行政などの要職に就いて帝国統治の一翼を担ったのに対して、精神世界を統治する宗教本来の役割は異端の香り漂う神秘主義教団によって担われ、中でもメヴレヴィー教団は、国家の手厚い保護のもとで大きな勢力を有していた時期もあったそうである。
しかし、オスマン帝国が倒れトルコ共和国が成立すると、世俗主義に基づき脱イスラム・政教分離を進めたアタテュルクの政策の一環として、メヴレヴィー教団は解散を命じられた。
現在、我々が見ることができるメヴレヴィー教団の儀式は、宗教行事としてではなく文化的遺産・観光行事としてのみ行うことが認められているものであるらしい。

そうは言っても、やはり宗教教団の儀式である以上、そこに宗教的情熱の迸りが生じるのは当然と言える。

儀式は幾つかのパートに分かれているが、メインのパートは「セマーゼン」と呼ばれる踊り手による旋舞である。
セマーゼンたちは、初めは緩慢な動きで歩いたりお辞儀をしたりしているが、やがて両手を斜め上方に広げた姿勢でクルクルと独楽のような旋回運動を開始する。
彼らは、ひたすら回る。
旋回運動は見た目に綺麗だし、この世ならぬ不思議な雰囲気を醸し出すものであるが、旋回運動のみが延々と続く単調さに飽きてしまって、やがて退屈する観客も現れる。
(参考映像 → http://www.youtube.com/watch?NR=1&v=W_Km4j36khA)

そして、突然、旋舞は終わる。

旋舞を終えたセマーゼンたちは一旦静止すると、ゆっくりとした動きで衣裳を整え、静かに退場していく。
その間、彼らの足取りに乱れはない。
旋舞の儀式とは、旋回運動で心身を酩酊させ、一種のトランス状態を作り出すものなのだろうと想像していたが、セマーゼンたちの姿に精神秩序の乱れは最後まで観察されなかった。
それは当て外れだったとも言えるが、トランス状態云々よりも、あれだけ長時間の旋回運動を続けた直後に体をピタリと静止させ、落ち着いて振る舞うことができるということの方が驚異だった。
三半規管の正常な働きを克服して体勢を維持することができるようになるまでには、おそらく相当な身体的修練を積んでいるに違いないと推察された。

旋回運動を終えたセマーゼンたちは、胸のうちの興奮にじっと耐えるような表情で俯き、微かに震えながら小さく呼吸していた。
その興奮の正体が何であるかは分からないが、神との合一を求める神秘主義の儀式が、セマーゼンたちの精神を過剰に刺激していたのは間違いないように思われる。
しかし彼らは、宗教的な興奮に身を任せて、儀式の厳粛な雰囲気を壊すような奇態を見せることなど、決して許されない。
身体的修練に加えて厳しい精神的修練を積めば、内面の興奮状態を外面に表出させないようにコントロールできる意志の力を身につけることができるのだろうか。





儀式の会場であるホジャパシャ文化センターで購入したメヴレヴィー教団のCDには、旋舞の伴奏音楽に続いて、旋舞終了後の聖典朗詠の様子が収録されている。
朗詠者は、聖典の一節を高ぶる声で朗詠しては、「ぐっ」という声とともに言葉を喉の奥に飲み込み、沈黙して呼吸を整えてから、再び次の一節を高らかに朗詠するといったサイクルを繰り返している。
その声調は、恰も胸の中から飛び出しかかっている感情を抑え付けて飲み込もうとしているように見えたセマーゼンたちの姿と、ほとんど同一のもののように感じられるのである。

国家によって宗教活動が禁じられているメヴレヴィー教団は、ややもすれば観光客相手の見世物に堕した儀式を執り行うだけの人畜無害な集団と化したように見えなくもない。
しかし、彼らは実は、一見すると見世物のように見える儀式を通じて、修練の成果を実地で試しつつ、神との合一を追求するという神秘主義教団本来の活動を継続するしたたかさを持っているのかもしれない。

断食月の夜



エユップ・スルタン・ジャーミイの広場で、日没時刻を待つ人々。
広場の衛星中継画面には、世界各国の回教徒の姿が映し出される。

日本人回教徒の記すところによれば、彼は断食月の経験を経て、初めて自分が回教世界の一員であることを真に実感できたそうだ。
その人曰く、断食月の最大の効用とは、全世界の回教徒とともに断食の苦しみを味わうことによって、「苦しいのは自分一人だけではない」という感覚を養い、国家・人種を超えた回教徒コミュニティの連帯感・一体感を心に刻むことにある、とのことである。





エミノニュの夕食会場に集う人々。
日没時刻を過ぎると、街中のあちこちに設置されたテントの中で、イフタールと呼ばれる断食明けの食事がふるまわれる。
日の出から日没までの長い時間を耐えた人々が同じ場所で一斉に会食する時、回教徒間の仲間意識がどれだけ高揚するのか、何となく想像がつく。





断食月の夜は、飲んで、食べて、楽しむための時間。
断食月とは、お祭りの期間でもあるようだ。

イスタンブルの中心部・スルタンアフメット地区では、広場の一角に臨時の夜店街が設けられ、食べ物、飲み物、おもちゃ、服飾品、工芸品、地方の特産品などを並べた屋台が延々と軒を連ねる。
昼間はバザールの人混みで、そして夜は夜店の人混みで。
イスタンブルにいると、我が身はいつでも芋洗い状態の芋と化す。





夜店街を出ると、夏の夜空に鳴り響く楽の音に導かれ、野外のコンサート会場へ向かう。
客席は超満員の立ち見続出で、聴衆のノリも良い。
もうすぐ真夜中というのに、子どもたちの姿もちらほらしているが、野暮な補導などここでは無用だ。





ステージの上にいたのはトルコの軍楽隊、演奏していたのは伝統的なトルコの軍楽だった。
日本で自衛隊の音楽隊が軍歌のコンサートを開催したとして、果たしてどれだけの人が聞きに来るだろうか。
トルコの人たちが軍楽隊に抱く親近感と敬愛の念は、我々日本人の想像の域を超えている。

強大な軍事力を誇ったオスマン帝国の全盛時代、トルコの軍楽隊が奏でる勇ましい行進曲が遠くから聞こえてくると、敵国はそれだけで恐れをなして敗走したこともあったらしい。
軍楽の響きは、トルコの人々のDNAを刺激し、広大な版図を有したオスマン帝国の世界史的栄光を想起させる効能があるに違いない。





軍楽隊のコンサートは、深夜12時きっかりに終わった。
赤いマントに身を包み、最後の曲を演奏しながら退場していく軍楽隊に向かって、聴衆は拍手喝采を送る。

だが、それだけでは終わらない。

野外ステージを出た軍楽隊が、演奏を続けながら広場を行進していくと、その後ろに、広場の人々がゾロゾロとついて行く。
まるでハーメルンの笛吹き男についていって姿を消した子どもたちの行列のようだが、トルコでは子どもだけでなく大人もついて行くところが一味違う。
トルコの人たちは、本当に軍楽隊が好きなのだ。

軍楽隊のコンサートは、イスタンブルの軍事博物館でも聞くことができる。
博物館の売店で売られている軍楽隊のCDは24曲入り1.5リラ、日本円で僅か80円程度で入手でき、大変お買い得である。





別の日に同じコンサート会場に行くと、これまた大変な人気の男性歌手がステージ上にいた。
今度は、日本風に言えば演歌だった。
しかも、この歌手は歌うだけでなく、自作の詩を歌の合間に朗々と詠じるのである。
こういうナニワ節スタイルが、トルコの人々の心にも切々と響くらしい。

最後の曲の前に、歌手は客席にいた一人の女性を立たせて、聴衆に紹介した。
歌手の母親らしい。
最後は、どうやら森進一の「おふくろさん」風の歌で締めるようだ。

切ない歌に心を掻き乱され、扇情的な詩の朗唱にぐっと来る。
外国人の自分も、ナニワ節の世界にぐいぐい引き込まれていく。
「アンネ、アンネ・・・」
トルコ語が分からない自分にも、ここだけは分かる。
「母さん、母さん・・・」
と、ステージの上から客席の母親に呼びかけているのだ。
くさい演出だが、不覚にも涙がこぼれそうになった。

そして、曲が最高潮に達した時、バックバンドの一人が両手を高く掲げてサッと広げたのが、トルコの国旗だった。
ここで会場は「オーッ」というどよめきに包まれ、聴衆はスタンディングで拍手を送ったのである。

軍楽隊を愛し、国旗を見て盛り上がれるトルコの人たちは、本当にトルコという国が好きらしい。
しかし、30年前にトルコを訪れた藤原新也の眼は、低迷するトルコという国を見限ろうとしていた国民の姿を捉えていた。
今、目の前でトルコへの愛情を惜しみなく表現している人たちは、最近の好調なトルコ経済のお陰で、ようやく自信と自尊心を回復したばかりなのかもしれない。





国旗と言えば、エミノニュの広場で見かけた旗売りのオジサンである。
よく見れば色々な旗を持っているが、メインの商品は何と言ってもトルコ共和国の国旗だ。
道行く人に国旗を売るという商売が、イスタンブルでは成り立つらしい。

日本でももちろん日の丸の旗を買うことはできるが、大抵の人は行き当たりばったりで買ったりせずに、ちゃんとした専門店に買いに行くのが普通ではないか。
道端で日の丸を売っているところなど、見たことが無い。

では、こんなところで国旗を買うトルコの人たちは、それをどこでどう使うつもりなのか。
手に持って振るタイプの旗が多いようだが、どこで振るというのか。
その辺になると、もう全く想像がつかない。
こういうところに、トルコの奥深さを見る思いがする。

ベシクタシュ



ボスポラス海峡の東岸の街ユスキュダルを歩いていると、空腹をおぼえた。
船に乗って、西岸の街ベシクタシュで、昼食の店を探す。
街中のあちこちに変な建物が目についたので、食事は後回しにして見物する。





昼食が済み、バス停に向かって歩いていたら、CNNの街頭インタビューに出くわす。
深刻な顔して、何の取材だろう。

シリア問題か、イスラエル問題か、中東の春諸国への対応か、クルド人対策か、キプロス問題か、EU加盟問題か。
トルコの国際政治は、多面的でスリリングだ。





ファインダーをのぞいていたら、いきなり、後頭部を小突かれた。
街頭テロかと思って振り向くと、CNNのカメラマンに、邪魔だからどけと言われる。
インタビュアーに近付き過ぎて、TVカメラのフレームに入ってしまったようだ。
大変失礼しました。

インタビューの雰囲気が和やかになってきた。
ベシクタシュは、イスタンブルの中心から離れた、どちらかと言えば庶民的な街。
外交問題なんかではなくて、案外、お気楽な話題のインタビューなのかもしれない。
こういう時、トルコ語が分からないのはつまらない。

街の住人たち


スルタンアフメット・ジャーミイの入口。
なぜか、逃げ道のない場所で静止した猫。


猫をいじりたい人間にとっては、絶好のチャンス到来。


かつてアヤ・ソフィアが基督教の、そして回教の寺院だった頃、おそらくここは堂内で最も神聖だった場所。
今は柵で囲われて一般客立入禁止となっているが、猫は自由に出入りし、寝そべる権利がある。
ただし、猫が何しにここに来たのかは、不明。


ユスキュダルの街中にある小さな公園。
オバサンにもらった餌を熱心に食べる猫2匹、彼らが食べ終わるまで順番を待つチビ猫1匹、オバサンにおかわりをねだりに行く猫1匹。
ペットボトルを輪切りにして作ったボウルには、猫の飲み水。


ユスキュダルの急な階段の途中に、猫専用の卓袱台。
餌が乗ったお皿と水が入ったお椀が、毎日決まった時間に、ここに並ぶのだろう。
その頃合を見計らって、近所の猫たちはやって来るに違いない。


クズグンジュックの街に駐車中のバイクは、気持ちよい寝床。


シャッター音で、目を覚ましてしまった。


しかし、起きる気力は全然ないようだ。


トプカプ宮殿そばの坂道で出会った子猫。


左手で子猫を持ち、右手のカメラで接写。


少し明るいところで撮らせてね。


まぶしいニャ!


写真はもういいニャ!


放せニャーッ!


撮影お疲れ様でした。
おいしいお水で一服して下さい。


お手元のパンを、ひとかけら下さることを信じて、じっとあなたを見つめています。


ちっ、こどもが先かよ。
エユップ・スルタン・ジャーミイの広場にて。


グランド・バザールの袋小路にある工房の中庭。
天日干しの絨毯の上を歩く子猫を、母猫が追う。

フェネルバフチェSK



カドゥキョイの街角から歌声が聞こえてきた。
フェネルバフチェSKのサポーターたちが、交差点で何かやっているらしい。
街を歩く者が足を止めて、彼らを見ている。

昨シーズンのトルコサッカーリーグの覇者フェネルバフチェは、今、八百長騒動で揺れている。
クラブの会長をはじめ、現役選手など多数の関係者が事情聴取を受けた。
昨シーズンの優勝取消しや2部リーグへの降格といった制裁も取り沙汰されており、サポーターとしては気が気でないはずだ。

本来ならば今シーズンのリーグ戦はとっくに開幕しているはずだったが、八百長問題のお陰で開幕は延期されてしまった。
スタジアムという住み慣れた我が家に入れないサポーターたちが、街角に出て何を訴えているのか、定かでない。
それでも、愛するクラブの危機に直面して何かせずにはおれないのだろう、というぐらいの察しはつく。





交差点でのデモンストレーションでひとしきり衆目を集めると、彼らは移動し始めた。
彼らが向かう先には、フェネルバフチェのホームスタジアムがあるはずだ。
スタジアムの前で別のサポーターグループと合流して、何かやらかそうというのだろうか。

手を叩き、歌声を張り上げながら、フェネルバフチェサポーターが真昼の横断歩道を渡って行く。
見方によっては悲哀感や滑稽さが漂うシーンだが、フェネルバフチェサポーターよ、負けるな。
サポーターは、馬鹿であればあるほど尊い。
この先どんな困難が待ち受けていようとも、馬鹿な彼らの大きな愛が、フェネルバフチェを苦境から救い出すと信じたい。





クズグンジュックの街を歩いていると、メインストリートのド真ん中に吊るされているフェネルバフチェの大旗が目に飛び込んできた。
フェネルバフチェ地区に近いせいだろうか、この街には熱心なフェネルバフチェサポーターが住んでいるようだ。





同じ通りにぶら下がるもう一枚の旗を撮っていたら、店の中から、愛想笑いを浮かべた男が近付いてきた。

「アナタ、ニホンジンデスカ?」
「ニホンゴ、ワカリマスカ?」
「オカシ、イカガデスカ?」

トルコの人たちは、言われているほどうるさく声をかけてはこないが、それでも中には面倒くさい奴がいる。
残念ながら、こいつは、そっちの部類に属するようだ。

「ニホンノ、ドコカラ、キマシタカ?」

真面目に答えるのが阿呆らしいので、デタラメに答える。

「フェネルバフチェ。」

愛想笑いが、普通の笑いに変わった。
素直な日本人になら何か買わせることもできるが、こんな見え透いたウソをつく奴じゃ無理だ、と思ったのか。
自分たちと同じフェネルバフチェサポーターのフリしてからかうとは、食えねー日本人野郎だ、と思ったのか。
男は笑って無罪放免してくれた。

この手は使える、と思った。
その後、何度か同じ手を使ったが、その度に、うるさい奴らは笑って退散した。





帰国前日、金角湾内の船上で向かい合わせに座った少年が、「どこから来たのか」と話しかけてきた。
含み笑いを浮かべながら、例の如く「フェネルバフチェ」と答えてみたら、二人は顔を見合わせて笑いだした。

向こうはこちらのことを、サッカー馬鹿な日本人のオッサンだと思ったらしい。
こっちは彼らのことを、冗談が通じるサッカー小僧だと思った。
瞬時に打ち解けて、二人との話が弾む。

フェネルバフチェの効用は、ここに頂点を極めた。





17歳のファティーフはガラタサライ、一つ年下の友人はベシクタシュのファンらしい。
いずれのクラブも、フェネルバフチェとともに、トルコサッカーリーグの3強を形成するイスタンブルの名門だ。
ファティーフは、かつてガラタサライに在籍していた「イナモト」という名の日本人を覚えていると言う。

今回は開幕延期のお陰でナマ観戦の機会を逸したが、再びイスタンブルに来ることがあったら、その時は、彼らサッカー馬鹿とともに、スタジアムで馬鹿になってみたい。
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