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ゲリラ戦


   (寫眞をクリックすると拡大します。)

狭い路地の角を一つ曲がると、紙切れと棒切れがささやかな結界を張っていた。
急に視界がくっきりして、両耳の上をシャキッとした風が流れていく。
小さな霊域となったその一角は、空気が少し違うようだ。

最近、同じ市内の別の地区でも、御幣が刺さった小径を発見した。
この地特有の習俗なのか。
それとも、全国どこでも見られる日常風景なのか。
地元の人が往来する小径の傍らで、じっと佇む小さな霊域。

そんな霊域をこっそり増殖させ、日本の空気をジワジワと変えてみたいという誘惑にかられる。
どうせなら、日本的習俗とは縁が薄そうな場所から始めたい。
どうしてこんなところに、と思うような場所に刺さっている御幣を、誰かが偶然見つける。
その時、その人の両耳の上を、どのような風が吹き抜けるだろうか。

御幣を幾つか鞄に忍ばせて持ち歩きながら好機を窺い、オフィス街や公園などの地面にそっと刺して立ち去ろうと企んでいる。
物騒な想像を膨らませながら、まずは手始めに御幣作りを練習し、作り方を完璧にマスターした。
決行の日は近い。

BGM ・・・ 河のほとりに (谷山浩子)
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回想少年時代


   (寫眞をクリックすると拡大します。)

坂を下りて来た野球少年の小集団の中から、汗の香が漂うような質問が飛んできた。
「この辺にコンビニありませんか?」
かつて丸暗記した基本英文で答弁可能だと思い当ったが、気障は嫌だから平易な日本語で応対した。
「この辺のこと良く分かんないんだ」
ここに来たのは初めてなので、嘘をついている訳ではない。
それでも、言い方が多少ぶっきら棒になったのは、彼らの質問より遥かに手強い難問に取り組んでいる最中だったからだ。

この坂道は公道であり、坂を上った先にある運動公園は公営であるから、どちらも立入が禁じられる筋合いは無い。
そうすると、ここに言う立入禁止の私有地とは、道路脇の石垣の上の傾斜地を指すと解するしかない。
有象無象が階段を上り傾斜地に立ち入って来ると困るので、看板で警告を発することとした・・・。
地主側のそんな事情が、何となく飲み込めた。

では地主は、侵入者としてどのような者を想定したのか。
いい大人がこのような傾斜地に侵入して気分が浮き浮きするとは考えにくいから、先程の野球少年のような子どもたちを想定したのだろうと見当を立てる。
しかし、大人に限らず子どもと言えども分別のある子ならば、二本の紐で封鎖されている入口を突破してまで侵入を試みようとは思うまい。
そこで、余程分別を欠いた無垢な子どもこそが、不法な侵入者に転じる可能性の高い一番の危険人物ということになる。
それでは、そうした分別のない子どもに対して土地の私有権を主張することが、果たしてどれだけ効果を発揮するのか。
敵は、厳重封鎖されている入口の突破すら平然とやってのける剛の者なのだ。
立入禁止の四文字に効き目があるとは思えない。
まして彼らが、公有地なら躊躇なく侵入するが、私有地なら自制して侵入を断念するという類の高度な政治判断を下すとは到底考えられない。

ところで、不法侵入の責めは侵入者に帰せられるべきであるとしても、地主側に落ち度はないのか。
いつの世であれ、石垣に上って浮き浮きする子どもは存在するから、階段が無くても多少の侵入者がやって来るのは必然である。
まして、そこに階段があれば、恰もここに上ってみないかと手招きされたかのように勘違いする子どもたちが続出したとしても、彼らを責めるのは酷である。
邪心の無かった子どもの心中に、階段を上りたい、傾斜地に入ってみたいという欲求を掻き立て、侵入を促し、挙句の果てに不法侵入者として譴責するというやり口は、FBIすら思い付かない非道な囮捜査の謗りを免れない。

そもそも、なぜこの階段は設置されているのか。
地主がそれ程までに侵入者を忌避するのであれば、わざわざ階段を置いて彼らの手引きをする道理が無い。
想像の域を出ない事であるが、地主が自ら掃除や草毟り、灌木の手入れなどの用で傾斜地に入る際の便を図らんがために階段を設けたといったところだろうか。
この程度の石垣なら、階段など無くとも素手でよじ登るのは簡単そうに見えるが、それはまあ良い。
良くないのは、階段が石垣に固定されている事だ。
登りたい時だけ梯子なり移動式の階段なりを持ってくれば済むはずなのに、路傍のオブジェの如く常設展示するから、常時、侵入者の危険に晒されることになる。
大体、公道に張り出すような格好で私有物を常設することに問題はないのか。
私有・公有の区別にとりわけ敏感そうな地主の見解を問い質したい。

そして、最後の難問である。
どうやらこの傾斜地は、いわゆる福祉関連施設の敷地の一部であるらしい。
福祉の事業とは、他者の幸福安寧の実現を本義とするものと解しているが、以上に述べたような難問を次々に繰り出し、人々の頭脳を苦しめるのは、果たして福祉と言えるのか。
平易な日本語による答弁を願いたい。

BGM ・・・ 交響曲第8番 第2楽章 (ベートーヴェン)

扉の誉れ


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鉄パイプ製のゲート。
脇が甘く不審者侵入防止の役には立っていないが、頑丈な造りで車の侵入防止の役目を果たしている。

ゲートに括り付けられた四種の木工品。
目隠しだろうか。
ゲートの横に立てば中は丸見えなので、そもそも目隠しなど意味がない。

飾りだろうか。
廃材を使ったポップアートのように見えなくもないが、その場合の問題は、山奥に佇むこのゲートを見る人など殆どいないということだ。

制作者の自己満足か。
その場合の問題は、制作者が何に満足しているのか、本人に聞いてみないと全く見当がつかないのに、ウッカリ本当にそんなことを聞いたら確実に機嫌を悪くされるだろうということだ。

徹底的に無意味なものを四つも纏っているお蔭で、何だかこのゲートが法外にユニークなものに見えてくる。
「世界に一つだけのゲート」
ありとあらゆるゲートが集う「ゲート界」で、このゲートは「オンリーワン」の栄誉すら手中に収めることが出来るかもしれない。
しかし、それが目出度いことなのかどうか、別の問題であることは明白だ。

BGM ・・・ ハープ・ソナタ (タイユフェール)

動物慰霊碑


   (寫眞をクリックすると拡大します。)

人家が途切れ、それでもなお谷の奥に進むうち、道路脇の斜面の中腹に「動物慰霊碑」という表示を見かけた。
道を逸れ、半ば崩れ掛けの石段を上り、うねる草叢を通り抜けて、方形のコンクリート塊の前に辿り着く。
銅貨やアルミ貨が散らばり、緑や白の粉を吹いている。
もう長い間、人が訪れた気配が無い。

どのような状況で落命した動物たちの霊が納められているのか、凡その見当がつく。
幸せに天寿を全うしたペットたちが、誰も来ない山中に打ち棄てられたように葬られているとは考えにくい。

こちらの都合で亡きものとなった動物を、こちらの都合で慰霊することに、特段の違和感は無い。
慰霊の儀式は、良心の咎から解放されるために不可欠なものとさえ思う。

しかし、慰霊碑は、慰霊の気持ちを忘れないために建てるものではないのか。
その慰霊碑を放置した時、慰霊碑の意味は失われている。

BGM ・・・ Red (キング・クリムゾン)
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