(寫眞をクリックすると拡大します。)

船が港に着いた。
接岸した船首に急ぐ乗客もいるが、急いでも、どうせ出口が混みあうのは分かっている。
暫くデッキの椅子に腰を落ち着けて、降りる頃合いを待つことにした。

いや、違う。
陸に上がれば、イスタンブル最後の夜が待っている。
旅の終わりが始まるのを少しでも遅らせようと、他の乗客が下船し終わるまで船の上で粘ることにした、というのが本当のところだった。

港に出入りする船を眺めながら、真夏の夕刻、一向に下がらぬ気温を潮風でしのぐ。
近くからは舷側を打つ波の音、遠くからは陸上を行き交う車の音が、耳を通り過ぎていく。
いつもと変わらぬ時の中に埋もれているうちに、時間感覚が希薄化する。

気が付けば、周りには数名の乗客が残るだけになっていた。
彼らはまだ船を降りないのだろうか。
ボンヤリ過ごした時間がどのくらい経ったのか分からないが、さすがにもう、出口もすいていることだろう。

そろそろ下船しようかと腰を上げた時、腹に響くエンジン音が船底から聞こえ始めた。
海面には、スクリューが巻き起こす水流のうねりが、デッキからもはっきりと見てとれる。
この船は、出航しようとしている。

ここは、この船の終着港だったはずだが・・・。
しかし、船は、疑いなく次の港に向かおうとしている。

慌てて出口に向かうが、汽笛が鳴り、船は港を離れていく。
船を降り損ねた間抜けな乗客になったことは明らかだった。
やむなくデッキに戻り、さっきまで座っていた椅子に、再び腰を下ろす。

デッキに残っている客は、降りる順番を待ってゆっくりしていたわけではなかった。
次の港に向かう客たちが、平然と腰を掛けていただけだった。
何だか、まんまと罠に嵌められた様な気がした。

もちろん彼らが、罠を仕掛けたわけではない。
帰国間近な乗客の下船を阻止し、どこかに連れ去ろうと罠をかけたのは、この船だ。
そして、海上に縦横無尽の軌跡を描く船はみな、この街の神経であり動脈であって、この街の一部なのだ。

ここに至ってようやく、この街が、我が身を絡め取ろうと意図していることに気付く。

この街を旅行先に選んだのは、この街に対する特別な思いがあったからだ。
しかし、それは自分の一方的な片思いであって、まさか自分が、この街に愛されるとは思ってもみなかった。
無数の来訪者で賑わうこの街が、一介の旅行者に過ぎない自分を引き止めようとするなどとは、決して・・・。

日が傾き、波が光る。
もうじき夜が訪れるというのに、このままどこに連れて行かれるのか見当もつかないが、それでもちっとも構わない。
ボスポラスを抜け、マルマラ海を南下し、ダーダネルスを通って、星空の下、エーゲ海から地中海に出たら、東に向きを変え、キプロスの北を回って、シリアとの国境まで。
どこまでも付き合えと言ってくれるのなら、どこまでも付き合おうと思い定めた。
スポンサーサイト

ガラタ橋


   (寫眞をクリックすると拡大します。)

向こう岸から歩いてきたオレと、向こう岸まで歩いていくお前。
日が沈んでも橋の上で魚釣りを続ける人たちや、停留所から路線バスに乗り込む仕事帰りの人たちの間を、通り抜けてきたオレと、彼らの中に溶け込んでいくお前。
宿に帰るオレと、家に帰るお前。
終わりある旅の途中のオレと、終わりない日常の中のお前。
この街を出て行かねばならないオレと、この街に居続けねばならないお前。

オレはオレのままでありたいのか。
それとも、オレはお前になりたいのか。

ギュルハネ


   (寫眞をクリックすると拡大します。)

中野区丸山あたりのバス通りは、今はまっすぐな広い道路だが、泉麻人が子供だった頃の記憶によれば、細くて折れ曲がっていたらしい。
彼は、昔の地図を入手して自分の記憶が正しかったことを確認した瞬間、「形容のしようのないほどぞくっと」する。
そして、「タイムマシンが開発されたなら、僕はまずそういうポイントを確認しに行くことだろう」と、著書の中で語っている。

記憶の彼方の風景をもう一度見たいと思う時の、どうしようもない焦りに似た感覚は、何となく分かる。

豊島・練馬・中野・新宿の4区が接する辺りで、千川通りと目白通りの間を結んでいる道路も、今は長さ100mほどの広くまっすぐな道路だが、かつては細くて暗くて曲がった道だった。
ろくに舗装もされておらず、デコボコな道にはしょっちゅう水溜りができていたような印象がある。
しかも、その道は単に曲がっているだけでなく、途中で二又に分岐しており、その先は一層細くなっていたように記憶している。
分岐点のそばには古くからの農家と思しき広い家があり、壁には幾つもの木製の農機具がぶら下がっていた。
その家の敷地内には防風林の名残りかとも思われる高い樹木が生えていて、枝や葉が狭い道の上空を覆う様は、そこだけ都会の中に残った武蔵野という趣きだった。
こうした記憶は、どれも定かではない。
定かでないからこそ、記憶がどこまで正しいのか、確認したいという思いはずっと持ち続けているし、もしもあの場所で写した当時の写真を見せて貰えるなら、相応の犠牲を払う覚悟がある。
いや、大きな犠牲を払ってもいいから、「ぞくっと」してみたい。

曲がった道には、不可解な力が潜んでいる。
かつて住んでいた場所のことを思う時、曲がった道の風景を決まって思い出す。

曲がった道の先に何があるか、行ってみないと分からない。
道を抜けると意外な場所に出ることを発見した時、街なかの空間把握が一歩進んだように感じる。
注意しないと、道なりに歩いているうちに少しずつ方向感覚が狂っていく。
そこが日常的な通り道になると、自分にとって特別な道になったような親近感を覚える。

かつて様々な感覚を呼び覚まされた場所に戻り、どうしていつまでもその風景が頭にこびりついているのか、原因を探ってみれば、今の自分を形成した根源的なものに出会えるかもしれない。

歴史ある街の風景が易々と変わってしまうようなことはなかろうとは思うが、それでもかつてのイスタンブルでは当たり前に見られたというオスマン風の木造建築が、物凄いスピードで朽ちて行く様子を目撃した。
帰国後早くも薄れ始めたイスタンブルの記憶が、やがて体内から殆ど全て蒸発してしまうであろうことも、容易に予想できる。
記憶の中のイスタンブルも、現実のイスタンブルも、変容は不可避だ。

いつかイスタンブルに戻ることがあったら、その時最初に足を運ぶのは、数ある観光名所のうちのどれかなどではなく、観光の中心地スルタンアフメット地区とオリエント急行の終着駅シルケジを結ぶ、このギュルハネの坂道だろうと思う。
宿の近くにあって、徒歩で、トラムで、何度も通ったこの坂の曲がり具合が、記憶の通りであり、寫眞の通りであることを現場で確認できた時、初めて記憶の彼方のイスタンブルに戻ってきたと実感できるに違いない。

ベシクタシュJK



丘の上のタクシム広場からボスポラス海峡のカバタシュ港まで一気にくだる道路が最後の直線コースに入るところに、老朽化が進んだベシクタシュJKのホーム「イノニュ・スタジアム」が建っている。
伝統あるベシクタシュというチームの、昔ながらのホームスタジアムを、改築するのかどうか。
論争は政治家までをも巻き込んで派手に展開されたそうだが、結局、現スタジアムの解体と新スタジアムの建設計画が決まった。





急な坂道の途中に、スタジアムの外からピッチが半分ほど見える場所があった。
スタジアムに入り切れないサポーターや入場料を払えない子どもたちがこの場所に集まり、半分しか見えない試合にやきもきしながらも、試合展開に素早く反応して一喜一憂する姿が目に浮かぶ。
新スタジアムが建つと、おそらくピッチは完全に目隠しされてしまうだろうから、試合をタダ見したいなら今のうちだ。

今年のトルコサッカーリーグは、八百長騒動の影響で開幕が延期された。
そのため、イスタンブル滞在中にサッカー観戦の機会が無いことは、日本を発つ前から重々承知だった。
それでもここからピッチを見ていると、ギリシャと並んで熱狂的と言われるトルコのサポーターたちとともに、スタジアムの外からでもいいから夢の時間を過ごしてみたかったと思わずにはいられない。





数日後の夕刻、ボスポラス海峡の東岸に向かう船のデッキに座り、遠ざかる西岸の町並みを眺めていると、イノニュ・スタジアムの照明塔の灯りが目に飛び込んできた。
なぜ照明がついているのか。
スタジアムで何か行われているのだろうか。
まさかとは思うが、試合があるのか。

その時突然、前夜のサッカー・パブで見たアーセナル対ウディネーゼ戦の記憶がよみがえってきた。
それは、欧州チャンピオンズリーグのプレーオフのTV中継だった。
そうか、欧州リーグか・・・。

トルコの国内リーグは未だお休み中だが、今年の欧州リーグは既に始まっているということに、なぜこの時まで思いが至らなかったのか。
今日は、もしかしたら、ベシクタシュのホームで欧州リーグの試合が行われる日ではないのか。

-------------------------------

船が海峡の東岸の町ユスキュダルに着くと、すぐにカバタシュ行きの船に乗り換えて、とんぼ返りで西岸に向かう。
海峡を横切りながら前方を見据えれば、イノニュ・スタジアムの灯りがどんどん近付いてくる。
すっかり諦めていたナマ観戦が実現するかもしれないと思うと、否応無しに胸の鼓動が高まる。

試合当日でもチケットは買えるだろうか。
買えなかったら、あの坂道のあの場所から、ピッチ半分だけでいいから、試合を見に行こう。
僅か十数分の航海の間にも、あれこれ思いが交錯していく。





スタジアムに着いたが、サポーターらしき人の姿が見当たらない。
気が付けば、照明塔の灯りも消えている。
それでもスタジアムの場外を半周し、巡回中の警備員をつかまえて聞いてみる。
「今日は試合なのか」
「明日だ。明日来い」

明日来いと言われても、明日はイスタンブルを発つ日。
チューリップの歌ではないが、明日の今頃は、ぼくは飛行機の中なのだ。
一日違いで、やっぱりナマの試合を見ることはかなわなかった。

ベシクタシュの機材運搬用トレーラーが、スタジアムの前に停まっている。
明日の試合に備えて、場内整備が行われているようだ。
船上から見た照明塔の灯りは、電球の球切れチェックのために点灯されていたのだろうと見当をつける。

久し振りの公式戦の準備に万全を期すベシクタシュのスタッフの意気込みは、何らかの形で選手に伝わらないはずが無い。
明日の試合を控えて、ベシクタシュの選手たちの体調と気力は、ともに最高潮に達していることだろう。
試合本番に立ち会うことができない無念さが、ますます募ってきた。

-------------------------------

翌日夕刻、アタテュルク国際空港を飛び立った飛行機は、ゆっくりとイスタンブル市街の上を進んで行った。
ほどなく海峡の上に差し掛かり、眼下にイノニュ・スタジアムが見えてきた。
そろそろベシクタシュサポーターたちが、カバタシュの町に集まり始める頃だ。
船着き場もあり、トラムの終着駅もあるカバタシュの町に、黒白ストライプのユニフォームをまとったサポーターたちが次々と降り立っているに違いない。
彼らサッカー馬鹿は、国内リーグの開幕がお預けになっている分、溜め込んだエネルギーを今日の試合で爆発させる気合十分というところだろう。
数時間後、あのピッチにベシクタシュの選手たちが登場すれば、その時こそサッカー馬鹿が、全力で馬鹿の本領を発揮する。

ベシクタシュに、勝利を。
ベシクタシュサポーターに、歓喜を。

実地で参戦できない自分は、上空から祈るしかない。
祈りながら、自分にとってベシクタシュというチームが特別な存在になり始めたことを自覚する。
帰国後、欧州リーグの試合結果を確認し、ベシクタシュが3-0というスコアで快勝をおさめたことを知ると、思わずガッツポーズが出た。
かくして、また一人、新たなベシクタシュサポーターが極東の島国に誕生したのである。

Stormbringer


   (寫眞をクリックすると拡大します。)

30年ほど前、海外旅行中に、射撃場に行ってみた。
何人かの客がまとめて入場し、順番に一人十発ほどを撃っていく。
やがて自分の番が来て、実弾入りの拳銃を手渡された直後から、奇妙な感覚に身を包まれた。
拳銃は思っていたよりもずっしりと重く、構えて狙いをつけている間にも、拳銃を持つ右腕とそれを支える左腕が少しずつ下がっていくほどだった。
体ではそれだけリアルに拳銃の重みを感じているのに、頭の中がちっとも確りしない。
近くにいる誰かの頭を撃てば直ちに殺人者という状況に怯み、間違っても人を撃ってはならないと思い詰めると、余計に何かの拍子に撃ってしまいそうな悪い予感がする。
そこで肩の力を抜くと、今度は、自分が殺人者などになるはずはないから冗談で誰かに銃口を向けてもいいんじゃないか、という内なる囁きが聞こえるような気がして、ますます落ち着かなくなってきた。
もちろん標的以外に銃口を向けることなく無事に射撃を終えて銃を手放したので、傍目には何事も無かったように見えただろうが、拳銃を持っている間のフワフワした気分がなかなか忘れられず、シリアスになるべき時になれない自分の精神状態は相当おかしいのではないかと、暫く自問した。

包丁でも人を殺せるが、包丁を持ったからといって、何かが聞こえたことはない。
しかし、仮に真剣を手にすることがあったら、そばの誰かを斬る真似をしてみないかという声が聞こえるかもしれない。
本来は調理器具だが人殺しにも使えるというほどの包丁などとは違って、元から他人を殺傷することを目的として造られた拳銃や真剣などは、それを持った者に対して「本来の使い方」を唆す意思を持っているのではないか。

エルリック・サーガに登場する魔剣ストームブリンガーは、突き刺した者の魂を吸い取り、吸い取った魂から得たパワーを魔剣の所有者エルリック王子に分け与える。
エルリックは、ストームブリンガーから供給されるパワー無しでは生きていけない体になっており、餌食を求めて魔剣を振るう自分を止めることができない。
ストームブリンガーは、邪悪な意思をもって王子の運命を操り、王子にとって大事な人たちの命を次々に奪っていく。
この物語の作者は、殺傷目的で造られた武器を自分の手に持った時にどこからかやって来る特殊な感覚を、肌身で知っていたように思えてならない。

ある軍人によれば、彼は部下との対談時に必ず相手の目を見ながら話すことによって、部下のメンタルを常時チェックすることを心掛けているとのことである。
何らかの異変の徴候を見逃すと、部下は携行する武器を用いて、自殺、殺人、あるいはテロすらも起こしてしまうかもしれない。
部下のメンタルチェックは、責任ある立場の軍人としては決して疎かにできない日常的な義務行為であるらしい。

海際の高台を這い回る巨大なムカデのようなこの建物は、射撃訓練場である。
内部に広大な空間を作り出すことが要求されるためだろうか、梁も柱も建物の外に飛び出ているのが特徴的だ。
この巨大ムカデが、銃を扱う者の射撃の腕前と共に不動の胆力をも鍛え上げ、ストームブリンガーの邪悪な意思の侵入に対する防壁を構築してくれることを期待する。

BGM ・・・ 太陽と戦慄パート2 (キング・クリムゾン)
プロフィール

vevey

Author:vevey

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR